龍刻 webストーリー - 天咲編 - 著:松本富之

 病室から見える景色は、いつも変わらず山と川と町並みだけ。

 ひらり。

(……あれ?)

 窓の外で。

(な、なにかな? いまの白いの……)

 変わらないはずだった空に、今ふと、布のようなものが飛んだ。
 五瀬ナミは腕に力をこめ、ベッドから起き上がると、ようやく体を窓側に向け、目をきょろきょろさせて周囲を見回した。

(……誰もいない……気のせいだったのかな?)

 再び定位置に寝そべる。
 背中とベッドが、とさっと音を立てた。


 * * *


 久しぶりに立つ床の上を、ふらふらと歩いていく。
 ひらり。

(……あれ?)

 窓の外で。

(間違いない……この間のは気のせいかと思ったけど、いまのは本当。窓の外に、白い布が飛んでたわ)

 重く感じる体を動かして、よいしょ、よいしょっと、窓の近くへ寄っていく。クレッセント錠を下に回し、枠をほんの少し押し開けると、夕闇の風が、ひんやりと頬を冷やした。
 とん。

(あっ)

 今まさに、裏通りの地面の上に、白い着物姿の子供が降り立った。もしかしたら、病院の柵を越して、飛び下りたのかもしれない。でも、それにしては身軽だった。
 女の子だった。見たこともない子だ。しかも、いまどき珍しい、白足袋に草履履きの古風なスタイル。

「……」

 女の子は、ナミがその姿を認めるとすぐに、路地裏へと走って消えてしまった。飛ぶような、鳥のような動きだった。

(……)
 ナミは、ぽかんとしてそれを見送っていた。

(まるで、座敷童みたいな格好の子だったなあ……あ、でも、座敷童が外をうろつくなんて変かな? 六月に雪女……ってわけでもないし。じゃあ、瓜子姫の生まれ変わりかしら。……そんなはずないね、ふふ。きっと近所の子よ)

 学校で突然倒れて入院して以来、なにも楽しいことのなかったナミにとって、この出会いはちょっとした喜びを与えてくれたのだった。

 その日からナミは、眠っている間にいろいろと楽しい夢を見るようになった。
 鞠つき。
 縄跳び。
 ブランコにかくれんぼ――
 子供の頃にできなかった、ありとあらゆる遊びの夢を。
 それは、母親と別れて親戚に預けられた過去のナミにとって、そして一日の半分以上を眠って過ごす今のナミにとって、それは至福の時間だった。


 * * *


「あまり長い時間、外に居ないでね? 気分が悪くなったらすぐに言うのよ、五瀬さん」

「はい」

 今日はなんだか気分がよかった。ナミは初めて、屋上まで出てみた。
 乾いた風が、たくさんのシーツをはためかせている。洗いたての白い布の波が、ナミの気分をほんの少し高揚させた。

(ぱたぱた動いてる白い布……あの子の着物みたい)

 乱れる髪を、中指で耳の後ろになでつけながら、ナミは大きく深呼吸をする。

(……あれっ?)

 物干し台の陰に、シーツの山が見えた。その上で、女の子が体を丸めている。

「くー……くー……」

 小さいながらも、きちんと着付けられた白い着物に、足袋と草履。すもものような唇をちょっとだけ開き、閉じた上瞼の睫毛が、陽の光にきらきらと白く輝いている。
 ――いつか見た、あの瓜子姫のような子。
「うーん…。バアさんや……今年の桜は、いつもよりキレイじゃのぅ……むにゃむにゃ…」

(……え?)

「とも…さん……今日も、お見舞いにきてくださったんですね……嬉しいです……」

(寝言?)

「にゃ〜……むにゅむにゅ……」

 その口からは、ときおり本人が喋っているとは思えないような言葉が、漏れ出ていた。

(変な寝言……ふふふ)

 ナミは、思わずその子の前に屈み、すっ……と額に手を触れて、風で乱れた髪を直した。
 がばっ!

(きゃっ!)

 突然、女の子が上体を起こした。

「しまったでしゅっ!! ふわふわでほかほかでとっても気持ちよかったから、こんなところで、つい、うっかり、寝こんでしまったでしゅ!! 約束の時間に間に合わないでしゅ〜〜!!」

「……」

「うにゅ??」

 一瞬、目と目が合う。

「さ、さいならでしゅ!!」

「あ、待っ……」

 その瞬間、ナミの眼前の景色が斜めに歪み、猛烈な眠気が襲いかかってくる。白い着物が、屋上の柵を飛び越えて――いや、空を飛んでいったように見えたのが、ナミの最後の記憶だった。



 ナミは、自分の病室で目を覚ました。目の前には、心配そうに自分の顔を覗きこんでいる、ナースと――

「ナミちゃ〜〜〜〜んっっ!! 心配させないでよぉぉ! 屋上で倒れたって聞いて、オレ、心臓が止まるかと思ったよ〜〜っ!?」

 半泣き顔のクラスメイト、安部アツシがいた。


 * * *


 あれは……夢だったのかな? あの白い着物の女の子、なんだか空を飛んでいたような?
 夢でもいい。またあの子に逢いたいな。
 逢えるかな。
 逢えたらいいな。
 逢って話ができたら、いいな。
 病室のベッドで、そうやってふかふかのシーツの匂いを吸いこんでいると、どこからか歌声が聞こえてきたような気がした。
『よーあけーの ばーんに
 つーるとかーめが すーべったー♪』

 そしてナミは、いつの間にか、その声に合わせて歌っていた。

『うしろのしょーめん、だ〜〜あれ?』

 そういえば、本当にそれって誰なんだろう?
 そんなことを思いながら、ナミは再び甘美な夢の世界へと落ちていった。そこで待っていたものは……

 つづく……かな?