龍刻 webストーリー - ともか編 - 著:鷹海和秀

 放課後。皆森高校の剣道場。その入口付近。

「はい。入部を希望します」

 剣道着の部員に混じって、ひとりの制服姿の少女が、表情も変えずに切り出した。

「ともかちゃんって、剣道なんて興味あったんだ?」

 男子剣道部主将・水内ツカサは、そうつぶやいてしまう。

 しかしともかと呼ばれた少女の手には、真新しい竹刀と胴着が、しっかりと握られていた。

「他人を自分のイメージで勝手に決めつけちゃ失礼でしょ、ツカサ?」

 隣に立っていた女子剣道部主将・笠木アイナが、ツカサをヒジで小突く。

「あ……ごめん」

「謝るなら玖印さんにでしょ」

 玖印ともか。つい最近転校してきた、下級生。

「そうだね」

 ツカサは頭を下げる方向を変えた。それをともかは、キョトンとした目で見ている。

「でもともかちゃん、生物部で忙しいんじゃなかったっけ?」

 確か朝と夕方、校舎裏の飼育小屋の動物たちに、餌を与えていたはずだ。

「先輩。それはそれ、これはこれです」

「あ、そうなんだ……」

 何だか分からないその説明に圧倒されて、ツカサは妙に納得してしまう。

 すると落ち着いたようすで、アイナがともかに尋ねた。

「それで、経験とかはあるのかしら?」

「いえ、わたし、剣道というものは今まで、実際にやったことはありません。資料はいくつも読みましたが」

「あら、そうなの?」

 少し面食らうアイナ。皆森高校の女子剣道部は、毎年全国大会に出場しているほどの強豪ということもあって、入部希望者のほとんどが経験者なのだ。

「まあ、高校から始めたって子もいないワケではないんだけど……でも、なんでまた急に?」

「はい。カラスさんが剣道部に入部しろと言うので、ここに来ました」

「はい? カラスさん??」

 アイナの声は裏返っていた。

「え、え、え? えと、誰かに言われて入部するってのは、よくないと思うな。でもでも、その前に、それより何より、カラスって人間の言葉を話すんだっけ?」

 しどろもどろになって、ツカサのほうを見てくる。

「まあ剣道部は、別に入部テストとかはないから、ともかくすぐ練習に参加してもらおうよ」

 ツカサは細かいことは、気にしないことにしたらしい。

「そうだね。理由はともかく、やる気はあるみたいだしね」

 なんだか安心した吐息のアイナ。

「ここまでされたら、無下に追い返したりはできないよ」

 言いながら、ともかの剣道具一式に目をやるツカサ。

「うん。じゃあ玖印ともかちゃん、ようこそ剣道部へ! これから一緒に、がんばりましょうね」

「はい、ありがとうございます」

 ともかは、すたっと座りこむ。

「ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いいたします」

 三つ指を突き、深々と頭を下げた。

「いやいやいやいや、なんかすごく間違ってるよそのあいさつ!」

 ふたりが慌てたのは言うまでもない。

「……」

 ともかは、黙々と竹刀を振っている。

「……」

 両手で握った竹刀を高く振り上げ、真正面に向かって振り下ろす。

「……」

 剣道の基本の形を何度もおこなう。その練習を、呼吸を乱すこともなく続けている。「ともかちゃん、なかなかスジがいいんじゃない?」

「まあ、確かにそうは見えるけどねぇ……」

 ツカサの問いに答えるアイナの表情は、あまりスッキリしていない。

「なにか不満でも?」

「動きに無駄がないところは、正直、すごく感心してる。でもねぇ……ってツカサ、見ててわかんないの!?」

「うーん」

 ツカサはまず、小さくため息をついた。

「動きはきれいなんだけど、気合いというか気迫というか、なんだか“心”が感じられない……そういうことだよね」

「うん。何だか機械が竹刀を振ってるように見えるのよ……」

 腕を組みながら、アイナの声には落胆の色があった。

 ツカサは少し思案したあとで、決心した。

「じゃあ少し指導してみようか。ともかちゃん!」

 ともかはそそくさとやってくると、開口一番、疑問をぶつけてきた。

「笠木先輩、わたしの竹刀の振りかた、どこかおかしなところがあったのでしょうか?」

「うーん。基礎はできてるみたいだから、いいんだけど……」

 アイナが再び返答に困る。

「けど? と言うことは、やはり、なにか問題があるのですね」

 ともかはその場で、再び精密機械のような素振りを見せる。

「いや、それはもうちゃんと見たから、いいよ」

 数回竹刀を振ったところで、ツカサはそれをやめさせた。

「先輩?」

 そこにアイナが入る。

「初心者にはちょっと難しい話になっちゃうんだけど、あえて言っておくわね」

「はい」

 ともかは真剣なまなざしで、ちいさく頷いた。

「剣道はね、心が大切なのよ」

 そう言いながら、アイナは自分の胸に手を当てる。

「心……ですか」

「そう。いくらきれいに竹刀を振ることができたとしても、それは剣道じゃなくて、素振りが上手なだけなの」

「はあ」

 ともかは、いまいち納得できていない。

「最終的には竹刀と竹刀を交えた勝負になる。 その時、型がきれいなだけじゃ、絶対に勝負には勝てないの。わかる?」

「はい……なんとなくは」」

「技術も重要だけど、それよりも強い心よ。何事にも動じず、いつも冷静に、そして、強い気迫で圧倒する!」

 同時にアイナは、竹刀を思いっきり振り下ろした。

「あ……」

 目をぱちくりさせるともか。

 空を切るその一撃には、相手を圧倒してしまう勢いがあったのだ。

「ちょっと難しかったかな?」

 すかさずツカサがフォローに入った。

「いろいろ言われても、すぐには難しいとは思うけどね。それを心がけながら練習すれば、すぐにでも上達するって」

「……はい」

 そう返事しているものの、ともかは腕を組んで考えはじめた。

「強い心、強い心……」

 つぶやきながら、竹刀を握り直す。そして、アイナの動きをなぞるようにして思いっきり振り下ろした。

 見るとともかは、頬をリスのようにふくらませていた。

「いや、ともかちゃん、怒りながらやるっていう意味じゃないんだけど……」

「ぷっ!」

 ツカサが指摘すると同時に、アイナが吹きだした。

「ご、ごめん……その……うん、かわいすぎて……」

 アイナは背けた顔を必死に押さえ、ぷるぷる全身をふるわせている。

「は?」



「笠木先輩こそ、修行が足りないと思いますよ」

 ともかはリスのような顔のまま、ブンブン素振りを続ける。

「ご、ごめ〜ん。やっぱりそうかも」

 その光景が目に入るたび、アイナの頬は思いっきりゆるんでしまうのだった。

「お、おい、アイナ。笑いすぎ」

 じっさい、ほかの部員も練習している手前、いつまでもそうしているわけにはいかないのだ。

「う〜、がんばれ、私!」

 アイナは両手で自分の顔を叩いて気合いを入れ直す。

「さ、さあみんなー! そろそろ相懸かり始めて!」

 ともかの姿を目に入れないよう必死になりながら、なんとか次の指示を出した。

「……笠木先輩、問題があります」

 ともかは素振りを終えて近づいてくる。

「ん、何かしら?」

 アイナのお笑いの衝動は収まってきました。

「相懸かり稽古は、一人ではできません」

「そうねえ……」

 道場内では部員たちが、試合に近い稽古をしている。その中で二人組になっていないのは、ともか一人だけだった。

「じゃあ、今日は私が相手してあげる」

「アイナが?」

 突然の提案に、ツカサは驚きを隠せない。

「大丈夫、手加減はするわよ」

 言いながら、アイナはともかに竹刀の先端を向けた。

 ともかもそれにならって、竹刀を構える。

 「ご心配なく。手加減は、無用です」

 すぐにでも勝負が始まりそうな雰囲気だ。

「って、ふたりとも!」

 ツカサが慌てて止めに入る。

「玖印さん、ちゃんと防具をつけてね」

 言われて、ともかに注意するアイナだが……

「アイナ、自分もちゃんと面を着けないと、説得力がないよ」

「ぶー。面なんてなくても、攻撃は食らわないわよ」

 などと文句を言いつつ、渋々ながらもアイナは面に手を伸ばした。すると……

「わたし、竹刀による打撃ぐらいなら、問題はないのですが」

「だめだめ。ほらほら、こうして、こうやって……」

 ツカサはてきぱきとともかに防具をつけていく。

「あ、先輩……備えあれば憂いなし、ですね」

 ともかが微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか?

「なんだかちょっとムカつくけど……まあいいわ。さて今度こそ、かかってらっしゃい!」

「では、遠慮なく行かせてもらいます」

 完全武装で対峙するふたり。ピリピリとした雰囲気は、まるで真剣勝負をしているかのようだ。

「で、では、はじめ!」

 ツカサは二人の間に立ち、試合開始を告げた。何ごとも起こらなければいいのにと、祈りながら……



(とは言ったものの……)

 アイナは動くことができない。

 竹刀を構えたまま微動だにしないともか。

(くっ、まるでスキがない!)

(ちと、本気で行かないとまずいかな、これは……)

 竹刀を握り直す。



 機械のような動きだから、というワケではない。さっきまでのとぼけた雰囲気とはまるで違う、静かだが強い気迫。下手に踏みこんだら、斬り殺されそうだった。

 アイナは唇をきつく噛みしめる。

(って、なに圧倒されてるのよ、私は! 剣道はいつだって真剣勝負、素人が相手であったとしても、一瞬でも気を抜いてはいけない……)

 自分にそういい聞かせる。

(気を抜いてかかったら、大怪我は必死なんだから!)

 その顔は、いつもツカサと練習をしている時のように。徐々に真剣な表情になっていく。

(確かに、この気迫は素人離れしてる。でもまっすぐ過ぎる)

 落ち着いたアイナは、冷静に思考を始める。すると、ともかに少しだけスキがあるのに気がついた。

(……誘いこむための、罠?)

 しかし、このまま向かい合っているだけでは練習にすらならない。アイナはあえて、そのスキに向かって行く覚悟を決めた。

「そこ、めぇぇぇんっ!!!」

 本気で踏みこむ!

「……っ!」

 やはりその攻撃を予測していたかのように、ともかは紙一重でよけ、そのまま流れるように、アイナの面に竹刀を振り下ろす!

「うぬっ!!」

 アイナは手首を返し、ともかの竹刀を打ち払った。

 バシィンッ!!

 激しい音を響かせながら、ふたりはいったん離れると、再び相手に向け竹刀を構える。

「なかなか、やるわね」

 面の中で、アイナがうれしそうに言った。

「け、稽古、だよね?」

 ツカサは呆然としている。

 アイナが本気を出している上に、ともかがその攻撃を見事に返し、あまつさえ反撃までしようとは……

「強い心構えがあれば、剣道でも強くなれます。確か、そうでしたね?」

 ともかがはっきりと言い放った。

「言われたことを、ちゃんとすぐに実践できるなんて……」

 ツカサがそう言いかけたとき。

 キーン、コーン、カーン、コーン……

 学校じゅうに、四時半を告げる予鈴が響き渡った。

(……ん?)

 対峙していたアイナは、ともかの様子が変わったのに、すぐに気づいた。

(なんで急に、スキだらけに?)

 さっきまでの気迫はどこへやら。なんだか、いまにも逃げ出してしまいそうだった。

(うーん。これじゃ、小指でも倒せちゃいそうだよ)

 そうは思ったもの、アイナは気合いを入れ直す。

 だが今度は、スキのない場所を探すほうが大変だった。

 「どうしたんだろう?」、

 ツカサも、さすがにおかしいのに気づいたようだ。

「あの、玖印さん?」

「は、はいっ!?」

 アイナが声をかけると、ともかはビクっとなる。

「ええと、かかってらっしゃい?」

「は、はい……や〜!」

 アイナに促され、ともかは力弱く叫んだ。

「せい!」

 その攻撃はアイナに軽く払われ、返す刀で胴を打たれた。

「うう……」

 それでもなんとか、ともかはよろよろと元の場所に戻り、竹刀を構え直す。

 そこにはやはり、先ほどまでの気迫はみじんも残っていなかった。

「ああ、そうか」

 ツカサがポンと手を叩いた。

「ともかちゃん、今日はもう上がっていいよ」

「え、先輩?」

 ともかがきょとんとする。

「だって、そろそろ行かないとまずいんでしょ?」

 そこでやっと、ともかもツカサの言葉の意味を察した。

「……はい。みんなが待っていますので……失礼します」

 ともかは深く一礼すると、手早くあとかたづけをして、飛ぶように出て行った。

「ふぅー。あの子、どうしちゃったの?」

 面を脱ぎながら、アイナは手をウチワのようにぱたぱたとさせる。

「あはは、アレがともかちゃんの日課なんだから、しょうがないよ」

「日課?」

 アイナにはそれがどういう意味なのか、サッパリわからなかった。

「それはともかく、あの子なら、剣道部の次期エースになれそうな気もしたんだけどなぁ」

「まあ、ともかちゃんには、色んな可能性があるんだからね」

「なによ、それ?」

 ツカサは、ニコニコ笑うだけで、詳しいことは話そうとしなかった。

 ツカサもまた、剣道部の練習を早めに切りあげ、校舎裏にある飼育小屋へと足を運んだ。

「あ、先輩」

 飼育小屋では、ウサギや小鳥などが食事をしている。そして、手に持ったニンジンをウサギに食べさせている、ともかの姿もあった。

「今日はごめんなさい」

 ともかは立ち上がり、大きく頭を下げた。

「謝ることじゃないよ。ともかちゃんはもともと、生物部だったんだしね」

 ともかの顔は晴れない。

「いえ、この子たちのことを気にせず、練習に集中するべきでした」

「でも、それじゃ動物たちがかわいそうだって思ったんでしょ?」

「……」

 うつむき加減のまま、小さくうなずくともか。

「いや、ともかちゃんはちゃんと集中できてるよ。だって、あの時でも、動物たちのことを考えてたんだよね」

「はい……」

「僕たちが剣道に集中できるように、ともかちゃんは動物たちのことに集中できる。人はそれぞれ得意なことがあるんだから、それには自信をもっていいんだよ」

「先輩……」

「まあ、剣道部はいつでもやってるし、アイナもともかちゃんが来てくれると嬉しいようなことを言ってたから、気が向いたらいつでもおいでよ。あ、もちろん、動物たちの餌の時間になったら、今日みたいに切りあげちゃって全然問題ないから」

「……はい。お心遣いありがとうございます、先輩」

 そんなともかの顔を見て、ツカサは胸のつかえが取れたのを感じた。



 * * *



「……はい、カラスさん。剣道というものは、言うほど単純な物ではないと感じました」

 誰もいない場所で、ともかは話しかけている。

「ええ。正直、わたしには向いていないと思います。剣を振るという行為は、見た目以上に体に負担がかかってしまうので。でも、得られた物はありました。戦いの時の心構えについては、大変参考になる意見を聞くことができたので。ええ……はい。……はい、そうします」

 あいまあいまに、カラスが頷いているようだ。

「先輩たちですか? はい。笠木先輩は、あれは間違いなく……」

 カラスが首をかしげる。

「水内先輩? え、えっと、水内先輩は、その……」

 こうして動物好きの少女の一日は暮れていくのだった。